
豊栄神社について

豊栄神社について
由緒
明治7年6月15日稲荷大神を奉斎し、同24年8月7坪の神殿を建立、札幌神社に請い大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)を合祀したことに始まります。
同34年8月24日神社創立を出願し、同年9月25日恵庭神社として公称の許可を受け、明治3 4年無格社。
同44年7月19日豊栄神社を合併の上現社名に変更公称の許可せられ、昭和9年8月27日社殿造営が完成。昭和11年村社。
同20年郷社。
同21年宗教法人を設立。現社殿は昭和56年9月に造営完成し、昭和60年12月に社務所並びに職舎の改築が完成しました。
同62年に敬神婦人会、同63年市民青年による御輿を担ぐ会「恵祭會」が発足しました。
また、令和6年に御鎮座150年を迎えた歴史ある神社となります。


豊栄神社御祭神
大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)
大国主大神の別名。素戔鳴尊の子。神代の出雲國の主神。
多くの試練を経て、素戔嗚尊の娘と結婚。
少彦名命とともに天下を経営し、農業を興し、禁厭、医薬の法を教える。
国土を天孫瓊瓊杵尊に譲って(國譲り神話)出雲に隠退。出雲大社に祀られる。
別名は多く、優れた能力と個性ある神格により、大己貴命、葦原醜男、八千矛神などと呼ばれた。
豊宇気姫大神(とようけひめのおおかみ)
伊勢神宮( 内宮)がおよそ三世紀末に現在の五十鈴川上流に鎮座して以来約二百年を経過し
( 今から二千年前)、雄略天皇の代になって「一人では食事も安心してとれないから、豊受大神を招くように」という天照大神のお告げがあって、丹波にあった豊受大神を伊勢に移されたと『止由気宮儀式帳』に記されている。( 雄略天皇二十二年)
豊受大神は天照大神の御饌都神( 食物を掌る神)として、広く産業の守護神と仰がれる豊受大神宮(外宮)に祀られている。(倭姫命世記)

御神木いちいの木
盤尻から自衛隊の協力により移植されました。



御守を制作しました。

三本の御柱
幸せを呼ぶ御柱には、次の願いが込められています。




和歌山県紀の川市名手八幡神社 宮司 金尾 義道 様と
記念撮影

豊栄神社宮司
五代目 本間 后



由緒
明治7年6月15日稲荷大神を奉斎し、同24年8月7坪の神殿を建立、札幌神社に請い大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)を合祀したことに始まります。
同34年8月24日神社創立を出願し、同年9月25日恵庭神社として公称の許可を受け、明治3 4年無格社。
同44年7月19日豊栄神社を合併の上現社名に変更公称の許可せられ、昭和9年8月27日社殿造営が完成。昭和11年村社。
同20年郷社。
同21年宗教法人を設立。現社殿は昭和56年9月に造営完成し、昭和60年12月に社務所並びに職舎の改築が完成しました。
同62年に敬神婦人会、同63年市民青年による御輿を担ぐ会「恵祭會」が発足しました。
また、令和6年に御鎮座150年を迎えた歴史ある神社となります。

豊栄神社御祭神
大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)
大国主大神の別名。素戔鳴尊の子。神代の出雲國の主神。
多くの試練を経て、素戔嗚尊の娘と結婚。
少彦名命とともに天下を経営し、農業を興し、禁厭、医薬の法を教える。
国土を天孫瓊瓊杵尊に譲って(國譲り神話)出雲に隠退。出雲大社に祀られる。
別名は多く、優れた能力と個性ある神格により、大己貴命、葦原醜男、八千矛神などと呼ばれた。
豊宇気姫大神(とようけひめのおおかみ)
伊勢神宮( 内宮)がおよそ三世紀末に現在の五十鈴川上流に鎮座して以来約二百年を経過し
( 今から二千年前)、雄略天皇の代になって「一人では食事も安心してとれないから、豊受大神を招くように」という天照大神のお告げがあって、丹波にあった豊受大神を伊勢に移されたと『止由気宮儀式帳』に記されている。( 雄略天皇二十二年)
豊受大神は天照大神の御饌都神( 食物を掌る神)として、広く産業の守護神と仰がれる豊受大神宮(外宮)に祀られている。(倭姫命世記)

御神木いちいの木
盤尻から自衛隊の協力により移植されました。




三本の御柱
幸せを呼ぶ御柱には、次の願いが込められています。






豊栄神社宮司
五代目 本間 后

